岳集落のルルド
長崎へ。バスで30分ほどで、福田浦へ。横瀬浦に続いて1565年にポルトガルに開かれた港。そして、1614年の禁教令の後に、各地から集められた宣教師たちがマカオへと追放された場所。
バス停で降り、本当にこの先に集落などあるのだろうかと思わせる山道をしばらく登って行くと、開けた場所に集落があり、その入り口に岳教会堂があった。屋根に十字架が掲げられていなければ教会とは気づかない、どこにでもあるような民家のような佇まい。ただ、それがかえってこの集落の人たちの信仰の慎ましさを感じさせた。随分歩いてきた事もあり、眺めは格別。遠くに長崎半島、神ノ島、伊王島が見えた。この場所は外海から移ってきた人たちが拓いたと聞いた。さぞ険しかったと思う。ただ、ここからの眺望は外海のそれとよく似ているので、この場所を選んだのだろう。
その集落の中に溶け込むように、ルルド(マリア像)が大きな石の上に立っていた。 とても優しい表情をしていて、この集落の人たちを見守っているようだった。 集落の中の畑はどれも手入れが行き届いて、 この場所の人たちの清廉な暮らしぶりも伺えた。 野菜だけじゃなく、花もたくさん植えられていた。 すぐ近くにあるカトリック墓地の墓石に手向けるのだろう。
何度も振り返り、小さくなっていくルルドを確かめながら岳集落を後にした。 背中に大らかなものを感じていた。
バス停で降り、本当にこの先に集落などあるのだろうかと思わせる山道をしばらく登って行くと、開けた場所に集落があり、その入り口に岳教会堂があった。屋根に十字架が掲げられていなければ教会とは気づかない、どこにでもあるような民家のような佇まい。ただ、それがかえってこの集落の人たちの信仰の慎ましさを感じさせた。随分歩いてきた事もあり、眺めは格別。遠くに長崎半島、神ノ島、伊王島が見えた。この場所は外海から移ってきた人たちが拓いたと聞いた。さぞ険しかったと思う。ただ、ここからの眺望は外海のそれとよく似ているので、この場所を選んだのだろう。
その集落の中に溶け込むように、ルルド(マリア像)が大きな石の上に立っていた。 とても優しい表情をしていて、この集落の人たちを見守っているようだった。 集落の中の畑はどれも手入れが行き届いて、 この場所の人たちの清廉な暮らしぶりも伺えた。 野菜だけじゃなく、花もたくさん植えられていた。 すぐ近くにあるカトリック墓地の墓石に手向けるのだろう。
何度も振り返り、小さくなっていくルルドを確かめながら岳集落を後にした。 背中に大らかなものを感じていた。